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体罰・暴力とは。

最近の体罰問題。それに追い打ちをかけるように岐阜県サッカーチーム代表の暴力・骨折、傷害事件。(ニュースを見ましたが、読むに堪えない内容です。こいつは狂っています。)大治町のスポーツ少年団の本部役員もやっているのですが、この役員会でも体罰について話がありました。

小学生年代では殴る蹴るの暴力よりも言葉による暴力がほとんどだと思います。僕自身、大治というチームの中では厳しく、大きな声で叱る指導者だと自覚しています。ただそれが暴力・体罰と言われ程だとはもちろん思っていません。グラウンドに正座をさせて、お説教をすることもありません。(ちなみに正座も体罰です。)

試合中、大きな声で叱ることは自分のチームだけでなく、相手チームに与える影響も大きいと思います。特に学年が下がれば下がるほど。自分のチームに大きな声で叱る。その言葉は同じグラウンドにいる相手チームの選手まで自分が叱られているような錯覚になり、プレーが委縮してしまいます。自分のチームだけでなく、相手チームにも迷惑をかけていることになります。

ただ、きれいごとばかり言うつもりはありません。事実、大きな声を出すことで選手が動くこともあります。どうしても勝たないといけない試合があれば、指導者としてそのような行動に出てしまうことも理解できます。その行動が良い・悪いの判断ではなく気持ちはわかるということです。ただ、その動く理由は「叱られたくない」「怖い」という恐怖心です。こうなるとスポーツではありません。

試合を見ている親御さんが「そんなに言わなくても・・」「うちの子可哀想・・」「もう、辞めさせたい・・・」そんな感情を持ったなら、それは選手にとって体罰であり、暴力かなと僕の中で定義ができつつあります。そこに愛があるとか信頼関係があるからいいと言う指導者がいるなら、それは傲慢であり驕りだと僕は思います。
人の気持ちはそんなに簡単に掴み、理解できるものではないと僕は思います。だから、いつもいつも神経を使い、コミュニケーションを取るのです。たくさんの言葉で人と接するのです。

試合で選手が動かない。ミスばかりする。それに対し、大きな声で叱る。でも、その選手はいったい誰にサッカーを教わったのでしょうか。誰とトレーニングをしているのでしょうか。
子と親は鏡です。選手と指導者も鏡だと僕は思います。ですから、大きな声を出した後は自分の指導者としての力不足に苛まれます。反省ばかりです。

体罰については非常にナイーブな面があります。テキストでは伝わらない微妙なところもあります。それにより誤解を生むかもしれません。だから書きませんでした。ただ、岐阜県サッカーチームの事件を読んで、どうにも書く衝動が抑えられず・・・

これを読んだ方が、同じ気持ちだとはもちろん思いません。いろいろな考えがありますので。それを否定するつもりもありません。ただ、僕はこんな気持ちでやっているということを大治SSSに関係する人に伝えておこうと思ったのです。このブログは、そういう為に書いていますので。

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