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昨日の続きなど。

昨日の内容に対し、コメント記入や個人的にメール、電話を頂きました。最初に言っておきますが辞めるわけではありません。そんな無責任ことはしません。


■コメントへの返信

僕以上に厳しい内容です。そういう考えもありかと思いますが、大治SSSは大治町の正式なスポーツ少年団ですので、退団、休部のようなことは最後の最後の手段だと思っています。昨日書いたことは個人的な思いがほとんどですし、強行にやっていくことはしません。

情熱を持って接すれば、必ずわかってもらえる、伝わると思っていた僕の傲り(おごり)であり、傲慢(ごうまん)かなと。

人は変われます。でも、変わろうとしなければ変わりませんし、時間がかかる場合もあります。


■コーチはボランティアか

よく、ボランティアでやっていると言われます。僕も都合がいいので良く使いますが、本心ではボランティアだと思っていません。この言葉の定義が人によって違うので今から書くのはあくまで僕の定義に基づくことです。

”僕の”ボランティアの定義として、相手からの見返りはゼロ。じゃぁ、大治SSSでの活動はどうかというとゼロではありません。終日になればお弁当を出してもらいますし、練習の時のドリンクも出してもらいます。着ている服も個人的に購入した物もありますが、そうでない物もあります。(ですからコーチが退団する場合は返却してもらっています。)高速を使って移動の時は高速代をもらいます。そういう意味で言うとボランティアではないと。震災のボランティアに行っても高速代はでません。お弁当も飲み物もでません。相手からの見返りを一切期待せず、相手の為だけに動くことが僕の思うボランティアです。

じゃぁ、ここでの活動がボランティアでないのならなんなのか・・ん~~”趣味”って言葉が当てはまるのかもしれません。趣味にしては背負うものが大き過ぎるとは思いますが・・・ボランティアでないのですから、少し見返りを期待します。それは僕にとって何か?選手の笑顔であり、頑張る姿です。ちょっと、かっこつけすぎですかね。でも、そんな姿を見て、感動するから10年以上続けてやって来れました。これは事実です。


■何が目的なのか

僕は飽き性です。そんな自分がこんなに長くなぜやっているのか。それはサッカーが大好きだからです。その大好きサッカーの魅力を少しでも伝えたいのです。少しでもサッカーが好きな子を増やしたいのです。

僕はサッカーを教えていますが、正確に言えばサッカーを通して、その魅力を伝えたい。あくまでサッカーを教えるということは魅力に気づいてもらう媒体だと思っています。

先週、坊主の関係で中学生3年生相手にサッカーをしました。まったく何もできませんでした。でも、一生懸命やりました。無駄に走り、ミスキックをし、転び(笑)でも、メチャメチャ楽しかったです。ヘタな自分が情けなくて、もっと上手だったら、もっと面白いのにと思いました。
サッカーをより楽しむなら、少しでも上手な方がきっと楽しいと思います。相手も自分も一生懸命やった方がきっと楽しいと思います。だから、練習をし、一生懸命やることの大切さを求めます。だって、その方がサッカーが楽しく感じるはずだから。楽しかったら、もっともっとサッカーが好きになります。魅力に気づきます。


■いろいろ書きましたが・・・

連日に渡り、面白くないことを長々と書きました。納得いかない部分、不愉快な思いもあったかと思いますが、今の偽りのない僕の気持ちです。出来ることなら、これを読んで思ったことをご家庭で話題にしてもらうとありがたいと思います。

コメント
[1] マッサーロ | 2014/03/26 01:08
ナガタさんのボランティアの定義良く理解しました。
因みに広辞苑には、「志願者・篤志家・奉仕者」「自ら進んで社会事業などに参加する人」と書かれていました。

大治SSSの運営については、あまりにも酷ければ、大ナタを振るう必要があると思います。
いずれにしても、ナガタさんがどの様な決断をされようと、支えていきます。
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